「長崎奉行始末」(柴田錬三郎)

切腹、武士道、責任の取り方

「長崎奉行始末」(柴田錬三郎)
(「日本文学100年の名作第7巻」)
 新潮文庫

長崎に英国艦船が不法侵入し、
オランダ商館員を人質に取り、
物資を要求する。
長崎奉行は、
長崎への砲撃を阻止するとともに
日本国の面目を守るため、
ある決断をする。
十五年前に拾い、
家臣に預けてある
双子の混血児があり…。

史実に創作を加えた
柴田錬三郎の短篇小説です。
ここに登場する
左太・右太の双子の兄弟。
実は純粋な日本人ではありません。
欧州人の血を引いた混血児なのです。
そのため外見は
まさに凜々しい西欧人です。
しかし二人は武家で育てられ、
武士道を極めるとともに
抜刀術も会得しています。
したがってその中身は生粋の日本人、
いや「侍」なのです。
その二人はなんと…。

「左太は、何のためらいもなく、
 脇差しを左脇腹へ突き刺し、
 左手を峰に添えて、
 ぎりぎりと、
 真一文字に、かき切った。
 瞬間―。
 後に立った右太が、
 抜く手も見せぬ迅業で、
 左太の首を、刎ねた。
 次いで、右太が、
 俯伏した左太の脇に正座して、
 左太の首を刎ねた
 衂(ちぬ)れた刀で、
 おのが咽喉を貫いた。」

二人は長崎砲撃を
断念するようしたためた嘆願文書を
傍らに置き、腹を切ったのです。

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何とも生々しい限りです。
外国人には理解不能、
現代人には滑稽千万、
古き日本の因習、「切腹」です。
二人は日本の体面を保つための
人柱となったのです。

もちろん、それを命じた
長崎奉行・松平図書頭康平も、
「すべての責任」を背負い、
腹を切ります。
「すべての責任」とは、
「検使の役人の弱腰対応」
「遠見番の役人の怠慢」
「対応を要請された
大村家・鍋島家軍勢の意図的遅刻行為」
「鎖国政策の結果としての
狼藉船に対する防衛手段の不備」
「国外からの侵略に対抗する
措置の欠如」等々、
文字通り「すべて」です。

長崎奉行の仕事は内地の監督であり、
海上監視はそもそも業務外です。
そして他家軍勢はもとより、
検使や遠見の役人等は、
本来長崎奉行の責任下にはありません。
さらには国境防衛のための
軍備整備など、地方行政官ではなく
本来は国が責任を負うべきことです。
それをすべて一身に負って腹を切る。
これこそが「武士道」なのでしょう。

さて、現代を振り返ったとき、
この国の政治を司る人たちの言動は
どうでしょうか。
コロナに関わる保健所の対応が
問題視されたとき、
「われわれから見れば誤解」であると、
その責任を最前線の保健所や
国民に転嫁した大臣がいたかと思えば、
自らの宴会参加について
「国民の誤解」を招いたとして
国民の理解力に問題があるかのような
言い方をする国政責任者もいました。
責任を他になすりつけることが
この国の「政治道」として
定着したかの感があります。

「切腹」など江戸末期までの
愚かな慣習に過ぎませんが、
「責任の取り方」だけは
昔の遺物にしてはいけません。

「日本文学100年の名作第7巻」
 収録作品一覧

1974|五郎八航空 筒井康隆
1974|長崎奉行始末 柴田錬三郎
1975|花の下もと 円地文子
1975|公然の秘密 安部公房
1975|おおるり 三浦哲郎
1975|動物の葬禮 富岡多惠子
1976|小さな橋で 藤沢周平
1977|ポロポロ 田中小実昌
1978|二ノ橋 柳亭 神吉拓郎
1979|唐来参和 井上ひさし
1979| 李恢成
1979|善人ハム 色川武大
1979|干魚と漏電 阿刀田高
1981|夫婦の一日 遠藤周作
1981|石の話 黒井千次
1981| 向田邦子
1982| 竹西寛子

(2021.1.17)

Free-PhotosによるPixabayからの画像

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